母が亡くなってから、まだやっと百日なんだなぁと改めて思った昨日、母の百か日でした。
百か日は「卒哭忌」というのだそうで、亡くなった人の供養のための日というより、残された人が、この日で「嘆き悲しむことから卒業しましょうね」という区切りなのでそうです。
私は、毎日毎日ずっと嘆き悲しんでたわけじゃなく、バレエしたり、ランニングしたり、旅行にも行ったな、ずっとできなかった自分のことをやって、けっこう楽しく暮らしてました。
自由になった・・・と正直思う。ずっと憧れていた、なにも気にせず、どこにでも好きに行ける、自由な自分。
でも、自由じゃなくても大変でも、もう少しいてほしかったな。
ああしていれば、こうしていれば、こんなことにはならなかったんじゃないか? と思ったり、何かの拍子に
「あ!そうだ、これお母さんに・・・」
と頭に浮かんだとたん、
「・・・そうだ、もういないんだっけ」
と気づいてしまったとき、そしてそれは今だけじゃなくずっとずっとなんだなぁと改めて知ったとき、やりきれない気持ちです。
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私はどっちかっていうと情に厚い人間ではなくて、家族のことだって別にさほど「大好き」とも「大切」とも思った記憶はない。
それでいてこうなんだから、世の中の人はきっとみんな、もっと悲しいものなのだろう。人にはあからさまに見せないだけで。
見せないだけで、そういうものを抱えながら強く明るく生きてる人は、いっぱいいるんだろうな。もちろんそうじゃなくて幸せいっぱいの人もたくさんいるのだろうけれど。
心の重い石は軽くはならないけれど、重くなくなる時が来ると知ってるから、私も強く明るくがんばろう。
I must be strong, and carry on…
昨日を区切りに、さらにあと一歩、前に進もうと思います。