父を看取れなかったこと

5月5日のブログの後、自宅に帰り、5月10日に実家に戻った。
母をショートステイ先に迎えに行き、その足で父を見舞ったとき、ちょっと苦しそうに息をしているように見えたけれど、最近、発熱しては落ち着いて・・・みたいなことを繰り返していたので、またかな?と思ってあまり気にしなかった。
今の時間だと、じき看護師さんがやってきて、こんな様子だとすぐ対応してくれる。今すぐコールするまでもないだろうと思った。

翌朝、施設のケアマネさんから電話があり「今までとは様子が違う」という。
急いで見舞うと、酸素吸入しながら肩で息をしている状態。確かに明らかに違っている。
「今日は先生が不在なので、明日レントゲンを撮るそうです」
「え?」と思った。
レントゲンを撮ろうが撮るまいが、治療法は変わらないのかもしれないけれど、うんと深刻な状態なら、明日診察なんて悠長なことは言ってられないだろうし、どう理解したらいいのかわからなかった。
でも、そう言われたら、そうですかと言うしかない。

翌日、母の病院予約があった。もう薬がないから行かないわけにはいかないので、午前中はそちらに行き、その後また父を見舞った。
相変わらずの状態だった。
どう見たって尋常じゃないこの様子に、昨日からすでに母はかなりショックだったようだけれど、この日またさらにガクッと来たようで、とても混乱している様子。父のことがほぼわからなくなってしまった。

父に付き添っていたいけれど、母は体力的にも精神的にも無理だろう。かといって家にひとりでおいておくのもこんな状態では無理っぽい。
ショートステイできないか、だめもとであたってみると、翌々日から3日間ならなんとかなるというので、とにかくお願いすることにする。それまでは、短時間しか父のそばにはいられないことになるけれど、どうしようもない。

翌日、父は介護施設から隣接の病院の病室に移された。
酸素吸入の設備がこちらのほうがいいから・・・ということだったけれど、4人部屋。施設のほうの個室だったら泊まることも出来るけれど、そうはいかない環境。でも空きベッドがあるのはここだけということなので選択の余地はなかった。

夕方、病室に回ってきた先生と会う。
抗生剤を最大量投与しているので、それが効けばよくなるだろうとのこと。
「もし、効かなくてよくならないければ・・・ということはありますか?」
問いいてみたところ、とりあえず、今夜とか明日とか、そんなに急にどうこうということはないだろう、ということなので、少し安心して、夜、帰宅する。

抗生剤が効けばよくなるだろうと言われたけれど、次の日もまったくよくなった気配はない。
酸素飽和度が時々がくっと下がり、アラームがなると看護師さんが来て痰をとったりマッサージしたりするが、とても痛々しい。
昨日より尿量も減ったみたいだし、むくんでいる感じもした。
見ると、白目の部分が水ぶくれのように膨らんでいた。
脈をとってみるけれど、とても弱々しくてなっていて探しあてるのが難しい。
もう回復はしないのかもしれないと思った。
こうなっての望みは、とにかく安らかに逝かせてあげたい。それをちゃんと看取ってあげたいだけだった。

いよいよ最期が近くなれば、医者はちゃんとわかるもので、少なくとも数時間前には知らされるものだと、病院関係の知人から聞いていたので、最悪の場合でも、父をひとりぼっちで逝かせることだけはないだろうと疑わなかった。

最後の夜は土曜日だった。
病院の面会時間もとっくに過ぎ、そろそろ帰らないといけないなと思ってナースステーションを覗くけれど、誰もいない。
ふと見ると、看護師さんは一人だけで、あちこちからのアラームやコールに文字通り走り回って対応していた。
「一人だけなのかしら?」「こんな様子で大丈夫なのかしら?」
不安に思った。
今思えば、このとき不安をちゃんと声に出せばよかったのだ。
なのに、後ろ髪をひかれる思いをしながらも、そのまま帰ることを選んでしまった。
気弱だった私・・・ばかでした。

翌朝、7時ちょうどでした。
病院から「心拍数が下がってきたので危ない。すぐ来てください」と電話があった。
家から病院までは10分で行けるけれど、着いたときは7時半くらいになっていた。
急いで病室に行ってみると、父のベッドのところだけカーテンが閉めてあり、すでに息絶えていた。
点滴や酸素吸入は外してあったけれど、亡くなったままの状態で放置されている状態。
父の目を閉じてあげて、布団を掛けなおし、看護師さんを探すと、昨夜と同じく、一人で他の病室の患者さんに対応しているところだった。

少し経って、別の看護師さんがやってきて、亡くなったのは7時7分だと告げられた。
葬儀屋さんリストを渡されたので、近場の順当と思われる葬儀屋さんに電話すると、ほどなく遺体の処置をする女性が現れて体を拭いたり寝巻きを着せたりすると、またほどなく搬送の車がやってきて、父を家に連れて帰った。

☆     ☆     ☆

私は、今までの人生の中で、実は1度も近親者の最期に立ち会った経験がないので、人が亡くなるということも、病院で最期を迎えるとどうなるのかということもまるで知らない。

だから、もしかたら今回のようなことは病院業界では普通のことなのかもしれないとも思うのだけれど、父の病院での最期は、人間として疑問を感じるものでした。だから自分の父親をそんなふうに死なせてしまったことに、自分自身を許せない気持ちです。

人間は、何があっても結局、自分を肯定しないと生きのびていけないものだと思うから、父のことも「それでも、できる限りのことはしてきたのよ」と思いたい。でも、難しいなぁ・・・