安心したら落ちつくのだろうか?(2)

今日は母の外出日。お天気が良かったので、よく行っていた公園に行って少し歩きました。

今日は小さい子を遊ばせてるお母さんたちがいっぱい。日差しも暖かくて、母にはいい運動になりました。

その後、家に帰って昼ごはんを食べてのんびりしているうちに、安心してきたのか、昨日とは表情も違います。
昨日は明らかに顔がこわばってました。今日はなんだかナチュラル。
母が言うには、私がいて助けてくれると、一人で困っていたこともちゃんとできてほっとするし、いてくれてとてもうれしいのだそうです。そしてこんなことをいわれてはっとしました。
グループホームでの日々の話のようです。

「私は寂しいの。みんなはいろいろ忙しそうで、私のことなんか見てくれないし・・・私はここにいるのよって言いたい気持ち」

あ、そうなんんだ!・・・と思い当たることが浮かんではっとしたのでした。

そういえば、母の周囲の皆さんは話しかけたところでほぼ反応はないか、母には理解できないかのどちらかかです。
職員の皆さんは、いろんな仕事で忙しいし、ゆっくり話を聞いてくれるなんてことはそうそう多くはありません。
考えてみると、母が好意を持っている人はみんな、母の話を聞いてくれる人たちで、嫌っている人たちは、自分は話すけれど母の言うことはあんまり聞いてくれない人たちだなぁ。
そして考えてみれば、それは認知症とかお年寄りかどうかには関係ないよね。誰だって、自分を受け入れてくれる人が好きなものです。

まぁとにかくそれはそれとして、そんなことを話したりしてリラックスしている母を、今日またグループホームに連れ帰るのはどんなもんかなと迷ってきました。
昨日のこわばった顔を考えると、連れて帰ったらがっかりしたり恨んだりしないかなと心配になってきました。
今日はもう家に泊まることにしようか?・・・迷ったけれど、やっぱり連れて帰ることにしました。

家にいる今のモードから気分を変えてグループホームに行くために、わざわざ遠回りして途中で買い物もしてから向かいました。
ところが心配は全然肩透かしで、着いたらなんていうことなく落ち着いていたのでちょっと安心。
もしかした、母の好きな職員さんが出迎えてくれて、靴を履いたり手を洗ったりのお世話をしてくれたので安心したのかもしれません。

この話はもうちょっと続きを書きたいけれど、今日はここまで・・・